女子高生170人に語る インターネット創世記
インターネットイニシアティブ(IIJ)と日本経済新聞社は2025年5月14日、帝塚山高等学校(奈良市)の生徒を対象にした共同授業を実施しました。IIJの鈴木幸一会長が自ら同校に出向き、170名の生徒と向き合いました。その様子を密着ルポ形式で3回連載します(文中敬称略)。
高校生との生の対話
季節外れの真夏日だった。5月14日がやってきた。

全国の高校生に日経電子版を活用してもらう日本経済新聞社の「日経電子版for Education」にIIJがスポンサードして今年で2年目になる。「一流の経営者の生の講義を高校生に聞かせたい」という帝塚山高校の求めに応じて、日経から鈴木のところに講義依頼がきたのは半年ほど前のことだ。
「番記者」が媒介に
1993年に日本で初めて商用インターネット事業を開始したIIJ。創業から30年を経て、鈴木は社会貢献にも力を注いでいる。幼少期から続くクラシック音楽に対する熱意が元になって鈴木が実行委員長をつとめる国内最大級のクラッシックの祭典「東京・春・音楽祭」も、昨年すでに20周年を迎えた。加えて今は、若者や高校生にIIJの起業や自らの半生を語ることで何かが伝えられないかと考えるようになった。
帝塚山高校に到着して鈴木を出迎えたのは学校関係者、そして、取材で長年の付き合いがある日経記者の大西綾だ。大西は通信業界の担当、いわゆる鈴木の「番記者」だった。
「女子高校生170人を相手に話をしたことなんてないよ。最近の女子高校生って、どんな感じだろうね」。担当を異動したあとも付き合いの続く大西とそんな会話を交わしながら、鈴木は講義の始まる時間を待った。
軌道を外れることにエネルギーを費やす
鈴木は1962(昭和37)年、県立横浜緑ヶ丘高校に入学した。だが真面目に通学したのは一学期のみ。その後は「軌道を外れることに相当のエネルギーを費やす」(鈴木)3年間だった。

登校の途中に、不意に東海道線に乗って静岡に行き、夕暮れまでぶらぶら歩いて旅館に飛び込んだり、京浜東北線で上野に赴き国立博物館や西洋美術館、東京文化会館で日がな一日過ごしたりする。京橋のフィルムセンターでは小津安二郎の映画に出会った。こうした彷徨癖を学校も大人もそれほど咎めなかった。おおらかな時代に、学校以外の場所で、貴賤を問わず、さまざまな知識を渉猟する高校時代だった。
午後2時半過ぎ。賑やかな声が響く講堂には生徒や教師、学校関係者、OBも集まり参加者は200名近くに達していた。立ち見の人もいる。

「想定以上の人が集まっています。会長、どうぞ」。促されて講堂に入るとモデレーターの大西が「みなさん、拍手でお迎えください」と紹介。会場を埋め尽くした生徒たちからは歓声と拍手が起こった。照れ臭い気持ちで鈴木は中央の席にゆっくり進んだ。
売上高3400億円って?
IIJの概要を大西が説明し、今年のIIJの売り上げは3400億円ほどになりそうだ、と言うと会場からは驚きの声が上がった。学生たちにとって、3000億円という規模を掴むのはかなり難しい。
「ジャンボ宝くじを1000回くらい当てないと達成できない規模ですね」。大西がすかさずフォローすると、会場は一気に笑いに包まれた。そう、つかみはバッチリだ。

「IIJがなかったら、鈴木さんがリスクをとっていなかったら、今の日本のインターネット環境はもっと遅れていたでしょう。失敗を恐れずになぜ鈴木さんが挑戦できたのかを、今回の特別講義でみなさんといっしょに明らかにしたいと思います」。大西がこう語りかけて、鈴木に挨拶を促した。
鈴木は、先ほど思い出していた高校時代の話をゆっくりと語り始めた。
「私はあまり学校に行かなかったのでね。みなさんの育ち方とは違いますけど、質問していただければ、何でも答えます。若干、年が違いすぎるので、ピントがずれていたら指摘してくださいね」
いきなり核心を突く質問
伝説の経営者の謙虚な姿勢に、少し堅かった生徒たちの表情は和らいだ。
今回の講義は鈴木と生徒のキャッチボールの時間を多くとる「質問バトル」だ。挨拶は最初の5分。経営者としての鈴木の半生や IIJの起業や許認可をめぐる戦い、倒産の危機などは日経新聞「私の履歴書」を参考書に、すでに生徒たちのアタマに入っている。そのうえでいきなり質疑応答に飛び込むのだ。
質問のトップバッターは入念な準備を重ねてきた2年生の唐澤佑実だ。

「電気通信サービスを行うためには郵政省(当時)からの許可が必要。そのためには財務基盤がなくてはならない。その際、まだ広く普及していなかったインターネットという事業の革新性をどう説明し、みなさんを説得したのでしょうか」
ベトナム戦争とインターネット
緊張した面持ちだが、IIJ企業物語の最重要シーン、核心を突く質問だ。
「インターネットについて説明しても、わかる人が誰もいなかったね」。金策に走っていたあの頃が今では少し懐かしく、鈴木の顔には自然と笑みがこぼれた。事業を立ち上げたものの、郵政省の許認可は蜃気楼のように遠のき、資金が底をつき社員に給料も払えない。自分の預金まで取り崩していたあの頃を思い出した。
唐澤の直球に対し、鈴木の返球は生徒にとって思いもよらぬものだった。
「ベトナム戦争、みなさんは知っているかな」。ベトナム戦争とIIJ創業がどう結びつくのか、生徒たちの顔に「?」マークが浮かぶ。取れるか取れないかぎりぎりのボールだ。
鈴木の焦り
1960年代の後半、ベトナム戦争の頃の暗黒の時代に米政府が21世紀の国家プロジェクトとして推進したのがインターネットだった。一方で反戦運動や厭戦気分は若者にひろがり、鈴木がいう「愚連隊といわれるような技術者」たちがカリフオルニアに向かう。その自由な発想は、国策だったインターネットが自由に世界に広がる素地となった。

東海岸と西海岸、米政府とカウンターカルチャーの双方からインターネットの源泉があふれ出始めた。100年間変わらなかった電話技術をベースに、コンピューターサイエンスをベースとした新たなコミュニケーションが生まれる大変革だ。
「ところがね」鈴木は語る。「日本は高度成長期で、その価値観は製造業が中心の時代だったんです。日本は完全に乗り遅れていたんです」
鈴木のその焦りが、既存の価値観や、郵政省、金策といった壁に立ち向かう原動力となっていった。生徒たちの目は輝きに変わっていった。
(続く)
インターネットイニシアティブ(IIJ)
授業者:インターネットイニシアティブ代表取締役 会長執行役員 鈴木幸一氏








